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金曜日, 4月 30, 2010

私と谷村新司の《昴》歌


  上世紀90年代半ば頃、現在上海音楽学院の特別客員教授在任中の谷村新司さんは、中国の上海を訪ねた際、南京路にある和平飯店のバーで、《昴》の軽音楽を楽しくて聞いていたシーンをテレビで放送された記憶があります。
  
  どうも、《昴》という曲は、私にかかわった関係は、不思議に深かったのです。

  1986年頃、私は故郷の中国アモイ(厦門、Amoy、Xiamen)でナイトクラブ(ダンスホール等)でアマチュア歌手として、この曲を唄ったことがあります。その時、アモイの鷺江飯店の屋上のバーで唄ってた最中、アモイに旅行した日本人観光客がステージに上がって一緒に唄ったのです。その後、私は日本に留学したこともその曲の御蔭です。

  つまり、バーで私の唄った《昴》は、大変に日本人の観光客に響いたようです。

  日本に来てから、日本語はまだ十分に理解できない私は、またテレビで《昴》を聞いたことがあり、なんかとても親しんでいた曲でして、特に、言葉の壁や貧しい留学生活を淡々送る、日々の生活に暗い影に被せられつつ、挫けて飽きそうな時期に、《昴》という曲は、私に新しいエネルギーを注いでくれるようでした。
 
  たまに、友達とカラオケでこの曲を歌ったり、また、働いたスナックでこの曲を何回か唄わせたことがあります。

  徐々に、いつの間にかに自分の定番曲になってしまいました。

  働いたスナックの常連客や店の関係者も、たまにご指名で、私の《昴》を聞きたい客も増えたようです。

  これらも10数年前のことですが、今振り返って思い出すと、確かに谷村新司さんの《昴》と、不思議な縁があったに違いありません。

  当時上海や東南アジアを訪れた、《昴》を作曲した谷村新司さんは、テレビのカメラに、こうコメントをしました。

  中国の人に聞いても、東南アジアの人に聞いても、皆、自分国の曲ですと言わんばかりで、面白いですねと、全然気にせずにテレビのカメラに向かって笑いながら語った谷村新司さんにとても印象的です。

  有名な中国台湾の歌手、故テレ・サテン(邓丽君, 鄧麗君)さんも、《星》という中国語の曲名で、この《昴》を中国全土へ広げた有名にさせた主な歌手の一人です。

  私も、香港や台湾からの流行音楽の影響で、この《昴》(《星》)を知ったのです。

  今夜、上海万博の開幕式で、谷村新司さんが舞台で日本の代表として、中国人に親しむ《昴》を披露しました。

  中継を見た私は、過去の自分の歩みをもう一度思い出させながら、この感想をここに記する次第です。

  暗い時にも、楽しい時にも、《昴》は、自分と伴い、自分に持続力をを与えてくれる、エネルギーです。《昴》を唄いながら、色んな困難を乗り越えて、楽しく暮らしていくため、私にとって欠かせない一曲です。

 




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